ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
「この映画をすべての人の青春に捧げる」とはフォン・シャオガン『芳華-Youth-』のラストに掲げられた言葉ですが、ピクサーはまさに、「この映画をすべての人の思春期に捧げる」という思いで『インサイド・ヘッド2』を作ったのではないか。
私はちょうどライリーと同じ年の頃に引っ越し・転校を経験したため、前作は「引越して友達もいなくて上手くいかなくて不安だよね( ; ; )分かるよ( ; ; )」という方向性でライリーに共感しすぎてベショベショに泣いていたのですが、今作はより多くの人の共感を呼びやすい「思春期の不安」がテーマになっています。
ニキビと不安でいっぱいの思春期を過ごし、友達を無くすのが怖くて夜な夜な泣いていた13歳だった無数の「あなた」(私のことです)のための映画、というわけ。
ニキビと不安でいっぱいの思春期を過ごし、友達を無くすのが怖くて夜な夜な泣いていた13歳だった無数の「あなた」(私のことです)のための映画、というわけ。
確かに共感はしたし、よく出来た映画だとは思うのですが、ピクサーが「これからは『あの夏のルカ』や『わたしときどきレッサーパンダ』『マイ・エレメント』のような監督の自伝的な作品ではなく、多くの人が共感できる作品を作るんや!!」と語っていたことを考えると、「いや、映画の良さって『共感できるかどうか』だけじゃないじゃん…!?」とかなり微妙な気持ちにもなります。
自分とは全く違う境遇の人間の、知り得ない人生と感情を見て、それでも涙させられることがあるのが映画の醍醐味じゃないのかい…!?
Pixar is now focusing on films with “clear mass appeal” with less focus on directors’ “autobiographical tales” like ‘Luca’ and ‘Turning Red’
“The studio’s movies should be less a pursuit of any director’s catharsis & instead speak to a commonality of experience”
(Source:… pic.twitter.com/X9JfuRM2Lf
— DiscussingFilm (@DiscussingFilm) June 2, 2024
以下、ネタバレありの感想です。
ネガティブな感情として嫌われがちな「悲しみ」の重要性を鮮やかに描いてみせ、感情の複雑さを祝福した前作。
今作では「感情」から「自己認識」に踏み込み、人の自己認識というのは単純に言い表せるものではなくて、複雑に絡み合い、常に変わり続けるものなのだ…というメッセージを視覚的に表現するという、相変わらず野心的なことをやっています。
複雑なものを複雑なまま抱きしめる、というのがこのシリーズの肝なのかな。そのせいか、ファミリー向け映画でありながら大人びた味わい。
ただ、前作では「正直の島」があったくらい誠実な子だったライリーが(前作でも正直の島は崩れてしまっていましたが…)こっそりコーチのノートを盗み見たり、友達との約束を破ったりするのはけっこうショックで、ライリーの成長を見守ってきたおばさんとしては寂しい気持ちだよ…。(勝手にライリー見守りおばさんと化す観客)
あと、クールな上級生に気に入られくて無理してるライリーは、共感性羞恥強めの人にはけっこう見てて辛いかもしれない。
自分のイケてなさに落ち込み、友達ができるかがこの世の全てだったあの頃……。ウッ…。
前作はライリーが(一人の人格ではなく)感情たちに操られているように見える、という批判がしばしば見られたのですが、今作はそれを回避しつつ、「感情がライリーを操るのではない」ということが、そのまま映画の帰結にもなっています。
「ライリーらしさは感情たちが決めることじゃない」というシンパイのセリフはそのままですが、(ヨロコビを)「ライリーが呼んでる」という展開も、あくまでライリーが主で、感情たちが操っているわけではない、ということを強調していたように思います。
今回の新しい感情はシンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィ(あとナツカシ)ですが、実質「シンパイ」の1人舞台と言ってもいい。それくらい、プロットもクライマックスもシンパイがメイン。
自らが生み出した不安でがんじがらめになり、状況が悪化しているのにどうすることもできない、無力感とパニックで固まってしまったシンパイが、耐えきれずに涙を浮かべる……。
そのタイミングの妙に、ピクサーって…映画がうめ〜〜……という今更な感動を覚えたのでした。
『アナと雪の女王』で、凍りついたアナが最後の息を吐く瞬間に匹敵するタイミングの妙。
予告の時点では「イイナーちゃんが可愛すぎる…」と思っていたのですが、実際本編を見てみると(イイナーももちろん可愛いけど)シンパイちゃん可愛すぎる!!!!!! あったかい紅茶淹れてハグしてあげたい。今年のDハロでシンパイやる人、1,000人くらいいそうですね。私もやりたい。
前作から引き続き組のムカムカ・ビビリ・イカリは大きな見せ場はないものの、かけ合いが楽しくて満足のいく描かれ方でした。前作を経てヨロコビ&カナシミにバディ感が生まれていたのも良かったですね。
今回は時間の都合で吹替で見たのですが、予告編でシンパイ役のマヤ・サーマン・ホークの吹替仕事の上手さに舌を巻いたので、字幕版も見てみたい。イイナーも今大ブレイク中のアヨ・エデビリだし。
前作では「思考の世界をどのように見せるか」というワクワクと小ネタギャグがめちゃくちゃ面白かったのですが、今回は思考の視覚化方面でのワクワクは少なめ。
ギャグもあまり冴えてるように思えず……。前作はトリプルデントの鉄板ギャグとか「あれはデジャヴ」とか、何度観ても笑っちゃうのですが。
もしかしたら、吹替で見たゆえに気付いてないギャグがあるかも。
ただ、今作でも幼児向け番組キャラのブルーフィー&ポーチー(『ミッキーマウス・クラブハウス』でいうところのトゥードルズみたいなキャラ)のギャグはめちゃくちゃツボで、声だして笑ってしまいました。
ブルーフィーはビジュアルもちょっと『おくびょうなカーレッジくん』を思わせる感じで、懐かしのアニメキャラ感があって良いですね。
そうそう、前作は両親の頭の中のシーンがジェンダー・ステレオタイプを強化するギャグだったのが今見ると引っかかったのですが、今回は両親の出番が少なかったこともあり、その辺は気にならなかったかな。
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