ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
早速ですが、『クルエラ』を見てきました!
『ムーラン』、『ソウルフル・ワールド』の劇場公開ドタキャンによる全興連とディズニーの間のいざこざ&緊急事態宣言のコンボにより東京や大阪での上映はかなり少なくなっているようなのですが、地方ではイオンシネマ、ユナイテッドシネマ系列などで上映されているようです。
以下、ネタバレありの感想。
『ムーラン』、『ソウルフル・ワールド』の劇場公開ドタキャンによる全興連とディズニーの間のいざこざ&緊急事態宣言のコンボにより東京や大阪での上映はかなり少なくなっているようなのですが、地方ではイオンシネマ、ユナイテッドシネマ系列などで上映されているようです。
以下、ネタバレありの感想。
さて、ディズニー・ヴィランズの中でも高い人気とカリスマ性を誇るクルエラのオリジンを描く……という触れ込みのこの映画、『マレフィセント』のように「実は悪役と思われていた彼女は被害者で……」という要素もありつつ、クルエラの悪役らしい振る舞いを見る楽しさもきちんと押さえてくれています。
しかし悪い奴を悪い奴のままディズニー映画の主人公にするにはどうしたらいいのか?
そう、ワルにはもっと悪い奴をぶつけんだよ!!
というわけで、世間擦れしているとはいえ、その後の転身を思えばまだウブなクルエラ(エステラ)に相対する悪役として、「バロネス(男爵夫人)」という極悪非道キャラが登場します。
このバロネス、1996年に公開された『101』(『101匹わんちゃん』の実写映画化)のクルエラにとてもよく似ています。
『クルエラ』のバロネスも『101』のクルエラも、自身の名(や肩書)を冠したメゾンの創設者であり、ロンドンのファッション業界で確固たる地位を築きあげています。そしてどちらも傍若無人で高圧的、部下や従者を虐げるパワハラ体質。
また、バロネスはエステラに「冷酷になりきれないために埋もれていく優秀な女性がたくさんいた」と語りますが、これは「戦争や飢餓や病気や災害より、結婚によって優秀な女性(のキャリア)が失われた」と語る『101』のクルエラを想起させます。
『101』のクルエラの印象から言えば、いや、バロネスの方が「クルエラ」じゃね? と思うほど。
まあ、バロネスは犬どころか人を何人も殺しているっぽいので、下手したら元祖クルエラよりもずっと悪い奴ですが。
つまりエマ・ストーン演じる「クルエラ」は、過去のクルエラ像を挑発し、かつそれを葬り去る、という、ストーリーラインが「クルエラ」というキャラクター像に対するメタ的な構造になっています。終盤で「エステラ」の埋葬が描かれますが、彼女は二重の意味で「過去の自分を葬っている」。なかなか挑発的ですね。
バロネスはエマ・トンプソンが演じていますが、本当は『101』でクルエラを演じたグレン・クローズに演じてほしかったんだろうな〜と思います。ちょっと雰囲気似てるしね、エマ・トンプソンとグレン・クローズ。
この「新旧クルエラ」という構図を補強するためか、ストーリーの途中で「バロネスが実はクルエラの生みの親」というのが明かされるのですが、ここは蛇足かな…という気がします。エステラがバロネスに雇われて彼女のビジネスや生き方を学ぶ時点で、既に精神的親子関係みたいなものだったじゃん。
「じ、じつは主人公は◯◯の子どもだったんです!」っていう血縁関係でもって物語をドラマチックにする手法、いい加減ダサくない? 『スカイウォーカーの夜明け』かよ。(悪口)
ドディー・スミスの原作小説『ダルメシアン』ではクルエラは父親の遺産を受け継いだ裕福な女相続人、という設定なので、そこと繋げたかったんだとは思いますが……。
そもそも、クルエラがバロネスをターゲットにする理由が「ペンダントを持っている」→「バロネスが母親を殺した」→「バロネスは実の母親で自分を捨てた」で2回も変わるのもくどいし、この間「バロネスの晴れ舞台をクルエラが邪魔する」というパターンを30回くらい繰り返しているので、クライマックスのチャリティーパーティーあたりになると「またこのパターンかよ……もういいよ……疲れた……」ってなってきちゃうんですよね。じゃあもう実の母親云々のくだりなくていいじゃん。
さて、そういうわけで古いクルエラを葬って提示された「新しいクルエラ像」。
毛皮をめぐる社会の姿勢も(『101匹わんちゃん』の公開である)1961年よりもさらに厳しくなった現代で、「毛皮を得るためにいたいけな子犬ちゃんを殺す」キャラクターをワルカッコいい主人公にするわけにはいかないため、「毛皮が好き」という設定はオミットされ、「世間を欺くためにそういうことにしている」ということになりました。犬も好き。
しかし、「毛皮がべつに好きではない」クルエラって、それもうクルエラなのか?
本編においてクルエラが働く悪事、「常習の窃盗犯」は置いておくとして、メインは「母親を殺されたことに対する復讐」であるため、クルエラがワルであるということについてはいまいち説得力を与えられていないんですが、そこはエマ・ストーンの卓越した演技力のおかげでものすごく悪そうな奴に見える。
クルエラとして「覚醒」した後、新聞社でアニタに「協力して」と迫るシーンなど、本当に背筋が凍りそうな怖さです。
序盤のいじめられっ子だったクルエラが母を亡くして、リージェンツ・パークの噴水を母親代わりに話しかける設定もなかなか良かった。
ちょっと亡き母親の墓に植えたハシバミの木に話しかける「シンデレラ」(グリム童話版)を彷彿とさせますね。クルエラはかぼちゃの馬車ではなくて、バイクの二人乗りやゴミ収集車で舞踏会へ向かうのですが。
リージェンツ・パークの噴水での独白長回しシーンもエマ・ストーンの演技力が炸裂していて、育ての母親に対し、良い子になろうと努力はしたけれど、やっぱり自分はそう生まれついたから……でも、お母さんをずっと愛してる、と語る姿は胸を打ちます。
育ての母親に対する愛だけでなく、ジャスパー&ホーレスとの家族愛にも重点が置かれています。
ジャスパーさ〜あいつアニメだと老人をいじめるクズなのに、『101』だとヒュー・ローリーだし、『クルエラ』のジョエル・フライもなんか優しくて良いやつだったし、実写化だとちょっとイケてる感じにされがちでズルいじゃん!
ポール・ウォルター・ハウザーのホーレスも最高です。この映画の笑いどころはほとんど彼が持っていってる。
『クルエラ』、エマ・ストーンは上手いし、70年代の名曲を散りばめたサントラも楽しいし、めくるめく豪華なファッションの洪水も眼福だしでけっこう楽しかったのですが、やっぱり『101匹わんちゃん』のクルエラは超えられないよな〜というのが正直なところ。
クルエラがあんなに鮮烈なキャラクターだったのは、「伝説」であり「アイコン」だったのは、彼女の白黒の髪や洗練されたファッション、耳に残る笑い声やロンドン中に響きそうなクラシックカーのクラクションではなくて、子犬を溺れさせ、皮を剥ぐことも厭わないというその残酷さが、『101匹わんちゃん』という作品の最も胸を打つ点——つまり、犬(や他の動物)たちが顔も知らない子犬を救うために、惜しみなく協力する姿勢、「子どもは当然守るべきだ」という前提——をより際立たせていたからこそではないかと思うのです。
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