Red Notebook 『プーと大人になった僕』物語なしでは生きてゆけない 忍者ブログ
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ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
2018年09月16日 (Sun)

 見てきました、『プーと大人になった僕』。
 成長したクリストファー・ロビンを演じるのがユアン・マクレガーであるためにツイッターで「マーク・レントンが幻覚を見ているようにしか見えない」とか言われていましたが、もうこの“Sooner or later, your past catches up to you.”(遅かれ早かれ、過去はあなたに追いつく)っていうコピーが「T2 トレインスポッティング」じゃないですか? このコピーが「T2 トレインスポッティング」のポスターに書いてあっても全然違和感ない。

以下、ややネタバレありの感想です。


●クリストファー・ロビンとは誰か

 原題はChristopher Robinであることからも分かるように、本作はクリストファー・ロビンについてのお話になっています。
 クリストファー・ロビンというキャラクターは、『クマのプーさん』シリーズの原作者、A.A.ミルンの息子であるクリストファー・ロビン・ミルンがモデルになっており、プー、ピグレット、ティガー、イーヨー、カンガ、ルーは、実際にクリストファー・ロビン・ミルンが持っていたぬいぐるみの名前です。

 さて、クリストファー・ロビン・ミルンは『クマのプーさん』があまりに有名になり自分の名前が広まったために「クリストファー・ロビン」の名前を重荷に思うようになったというのは有名な話で、彼の自伝『クマのプーさんと魔法の森』でもこのように書いています。
もしプーの四冊の本が、他の多くの本のようであったら――今年出版され、つぎの年には忘れられてしまうような本であったら――何の問題もなかったろう。また私が、ちがった種類に人間であったら、問題はなかったろう。ところが、不幸にも、フィクションの上のクリストファー・ロビンは死ぬことを拒み、彼と彼の生きている同名人は、いつもうまくいくというわけにはいかなかった。いま挙げた不幸――不幸と、あるときには思えたのである――のうち、前のほうのものにたいしては、父をとがめなければならない。あとのほうは、私がわるいのである。(ミルン 270)
悲劇的な瞬間には、父が私の幼い肩に乗っかって、現在の地位にのぼり、私から名誉を奪い去り、ただ、父の息子であるという空な名声だけを残してくれたのではあるまいかと思えるときもあった。(ミルン 274)
 今回、「クリストファー・ロビン」を主役に据えるにあたり、実在の人物がモデルになった――しかも、そのモデルであることを好まなかった人物の――キャラクターの人生を描くのだから、どうやって処理するのかな?と少し心配していました。
 本編が始まってすぐ、クリストファー・ロビン・ミルンが現実にそうであったように、寄宿舎学校に行くことになり、百エーカーの森の仲間に別れを告げるクリストファー・ロビン。寄宿舎に入って少ししたころ、どうやら父親が亡くなった様子。
 え、いやA.A.ミルンそんな早死にしてないでしょ!?と思って見ていたら、どうやらこのクリストファー・ロビンはクリストファー・ロビン・ミルンではないらしいんですね。つまり、クリストファー・ロビン(クリストファーが名前でロビンが名字)という架空の人物らしいのです。ま、まじか。そんな力技あり!?
 というわけで彼のお父さんもA.A.ミルンではないし、よってA.A.ミルンがいない以上、この世界線には『クマのプーさん』という本は存在していません。プーたちはクリストファー・ロビンの子供時代のイマジナリー・フレンドではあるものの、クリストファー・ロビン以外は誰もプーのことを知らないということになっています。

 今までのディズニーの『クマのプーさん』のアダプテーションである(テレビシリーズやティガームービーやピグレットムービーその他諸々は一旦おいといて)「くまのプーさん 完全保存版」や2011年版「くまのプーさん」では、「このアニメーションの元のお話は本である」ということにこだわっていました。
 例えば、物語はクリストファー・ロビンの部屋で『クマのプーさん』の本が開くところから始まりますし、キャラクターたちは本のページの中で動き回っています。文字が雨で流れ出したり、ティガーが文字の上を歩いたりします。キャラクターたちも自分たちが本の中にいるという意識があるようで、「このままじゃ本から飛び出しちまう。ページをめくれ!」というセリフがあったり、原作にはいないゴーファーというキャラクターは「どうせ俺は原作にはいないんだ」とメタな愚痴を言っています。
 そこで今回、「これは『クマのプーさん』の本が存在しない世界です」というのは、けっこう思い切ったことをしたなあ……という気持ち。でもこれはディズニーが「クリストファー・ロビン」という名前を重荷に感じていたクリストファー・ロビン・ミルンを解放しようとした……ということなのかもしれません。

●物語の中に生きる―― アリス、ピーター・パン、クリストファー・ロビン、そしてスパッド

 ところでこの映画、「物語」と「現実」「大人になること」のテーマと、実在の人物がモデルになった児童文学、というつながりで、最近読んだジョン・ローガンのPeter and Aliceという戯曲を思い出しました。「ピーター・パン」のモデル(の1人)になったピーター・ルウェリン・デイヴィスと、「不思議の国のアリス」のモデルになったアリス・リデル(結婚後はアリス・ハーグリーヴス)が出会う話です。
 その中で、『不思議の国のアリス』の作者であるルイス・キャロルがこんなことを語っています。
CARROLL: In the place called Adulthood, there’s precious few golden afternoons. They’ve gone away to make way for other things like business and housekeeping and wanting everyone to be the same, just like you, all the lives lived in neat hedgerows, all excess banished, all joyous peculiarities excised. It’s grim and shabby. There are no Mad Hatters and there are no Cheshire Cats, for they can’t endure the suffering of the place.(Logan)
キャロル:「大人」という場所では、きらめく昼下がりは滅多に過ごせない。そうした楽しみは仕事や家事に取って代わられて、自分を含めて誰もが何も変わらないことを望み、きれいに整えられた生け垣の中で生き、度を超さず、奇妙なことを楽しむこともない。陰気でむさ苦しい場所だよ。そこにはいかれ帽子屋も、チェシャー・キャットもいない。彼らには大人であることの苦しみに耐えられないから。
 Peter and Aliceのアリスとピーターは二人とも戦争や事故で家族を失ったことで心に深い傷を負っており、特にピーターについては、戦争で人を殺したトラウマからかなり精神を病んでいます。
 しかし、アリスにとっては「不思議の国のアリス」の物語の中で生きることは、辛い現実の中の慰めであることが語られます。
ALICE: And if I sit there in that room at the top of the house and I think about my life and if I shut my eyes from time to time and imagine being warm in the summer and I hear the bees buzzing and for a moment I truly am Alice in Wonderland, do you have the heart to tell me I’m not? (Logan)
アリス:家の最上階の部屋に座って人生に思いをめぐらせている私が、時折目を閉じて夏の暖かな日差しの中でハチの飛ぶ音を聞いていると想像しているとき、つかの間私が本当に「不思議の国のアリス」になっているとき、それが現実じゃないなんてあなたに言えるの?
ALICE: I can be the lonely old woman in the drafty room or I can be Alice in Wonderland… I choose Alice.(Logan)
アリス:私は隙間風の入る部屋の孤独な老人にも、「不思議の国のアリス」にもなれるのだから……私はアリスを選ぶわ。
 それに対してピーターは、物語の陰として生きなければならなかった苦しみからか、「妖精なんて現実じゃない」と何度も空想の中で生きることを否定します。
PETER: Mrs. Hargreaves… We can’t live in a fantasy. Reality may be hard, but it’s all we have.(Logan)
ピーター:ハーグリーヴスさん…。人は空想の中に生きることはできません。現実は辛いかもしれませんが、僕らはそこで生きるしかないんです。
 終盤では、「一緒に不思議の国へ行きましょうよ」と手を差し出すアリスを、ピーターが「僕はもう大人になったんだ」と拒絶します。そして不思議の国のアリスとピーター・パンの口から、アリスは2年後安らかに息を引き取った、ピーターは電車に身を投げて自殺してしまった、と語られて物語は幕を閉じます。とてもつらい。
 Peter and Aliceでは「物語の陰で生きることに苦しめられる」ピーターやアリスの姿が描かれているのですが(たぶん、クリストファー・ロビン・ミルンがクリストファー・ロビンに苦しめられたのと同じように)、それと同時に、「物語に頼らずに生きていくには、現実は辛すぎる」ということも描いているんですよね。

 『プーと大人になった僕』のクリストファー・ロビンにとってもきっとそうで、過去の「物語」は彼が困難な現実を生きていくために必要としていたもの(欲していたのではなかったとしても)だったんですよね。そうして、彼が娘に「本を読んで」とせがまれて歴史の本を読み上げるくらい、「物語」を捨て去っていても、物語の方は彼を見つけにくるのです。お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れない。(それ違う映画や)
 そしてもしかしたら、クリストファー・ロビン・ミルンについても、ディズニーは今回の映画で「物語ることによって」、「ディズニーのプーさん」における「クリストファー・ロビン」を「クリストファー・ロビン・ミルン」から切断することによって、彼を救おうとしていたんじゃないかと思えるんです。たとえ今からでは遅すぎたとしても。感傷的すぎるかな。

 そしてこれやっぱり、「T2 トレインスポッティング」じゃないですか!マーク・レントン(ユアン・マクレガー)に「どうせ人は何かに依存しなきゃ生きていけないんだから、(ヘロインじゃなくて)もっと別のものに依存しろよ」と言われたスパッド(ユエン・ブレムナー)が何に頼って生きていくことにしたかって、「(過去を)物語にすること」じゃないですか…!!!!
 あと、プーたちはクリストファー・ロビンのイマジナリー・フレンド(のはず)なんですが、なんのエクスキューズもなく実体を持って登場し、周囲の人にも認識されているあたり、「空想」と「現実」を二項対立とせず、「「「物語」」」は「「「現実」」」に「「「存在する」」」だろうが!!!っていうディズニーの強い圧を感じました。

 ところで、ロンドンにやってくるのがプー、ピグレット、イーヨー、ティガーだけで、ほかのキャラクターは百エーカーの森から出てこないという展開、ラビットとオウルはぬいぐるみではなくて野生動物であること(つまりクリストファー・ロビンが大人になるまで同じ個体が生きてるはずはない)、現実のエピソードとしてクリストファー・ロビン・ミルンが子どもの頃にルーのぬいぐるみをなくしてしまっていることを考えると、「ラビット」「オウル」「ルー」は実体を持たないファンタジーの存在であり、それに対してプーやピグレットは「ぬいぐるみ」という物質的でリアルな実体を得ているため、「物語(百エーカーの森)」と「現実(ロンドン)」の境目を行き来できたのではなかろうか…と深読み妄想しています。深読み妄想楽しい!
 えっカンガ? カンガはほらあれですよ、ルーだけ置いてくるわけにいかないからね、うん。
 いや、でもあれはクリストファー・ロビン・ミルンではなくクリストファー・ロビンなので、ルーを失くしたエピソードとか関係ないんですけど……。
引用文献:
ミルン、クリストファー『クマのプーさんと魔法の森』石井桃子訳、岩波書店、1977年。
Logan, John.  Peter and Alice. London: Oberon Books, 2013.
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