Red Notebook 『アラジン』#metoo時代のプリンセス 忍者ブログ
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ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
2024年11月23日 (Sat)
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2019年06月09日 (Sun)
実写版「アラジン」見てきました!
予告編があまり乗れなくて期待値低めで行ったのですが、意外と良かった。現代的アップデートの側面からいえば、「美女と野獣」よりずっと好きです。
以下、ネタバレ有りの感想です。


○#metoo時代以降のプリンセス
今作で現代的なアップデートだなーと思った点はいくつかあったのですが、プリンセス像ウォッチャー的には1番印象的だったのが、ジャスミンが明確に#metoo以降の時代のプリンセス像として位置づけられていたことです。 
アニメ版のジャスミンは「パパ・ドント・プリーチ」的なヒロインであった『リトル・マーメイド』のアリエルと似た系譜の、「保守的な父親に反抗するティーンエイジャー」として設定されていました。王宮を抜け出すのも「誰にもあれをしろ、これをしろと縛られない自由な暮らしをしたい」という動機からで、「絶対に家には帰らない」とアラジンに打ち明ける家出少女でした。
対して本作のジャスミンは「アグラバーの民の暮らしを見てみたい」という理由で王宮を抜け出しており、見合い相手がやって来たことを知ると慌てて王宮に戻るなど、「王女としての務めを果たしたい」という理念のもとに行動しています。
しかし、彼女は自分が単なるお飾りとしての役割しか求められていないことにフラストレーションを感じており、自分には王子と結婚するよりも民のためにできることがあると信じています。彼女の望みは自分自身がスルタン(国王)になること。けれども「女が国王になってことはない」という理由で父親には取り合ってもらえません。
このあたり、『モアナと伝説の海』や『アバローのプリンセス エレナ』でも示された「民を率いるリーダーとしてのディズニープリンセス」像の流れを汲んでますね。
彼女を抑圧する役は主に国王とジャファーが担っており、特にジャファーは「王女というのは単に見られるための存在であってものを言う存在ではない」という酷いセリフを投げかけます。セクシストは悪役、というめちゃくちゃストレートな構図。アニメ版ではジャファーはジャスミンを侮ってはいてもここまで直接的なセリフは言っていなかったので、あからさまにこの物語において打ち倒すべきものの一つとしてセクシスズムが設定されていることがうかがえます。
「女のくせに」「ひっこんでいろ」と言われるヒロインが立ち上がる…という流れは『キャプテン・マーベル』といい今年のトレンドかも。
今回追加されたジャスミンのソロナンバー、speechlessは「私は黙らない」とジャスミンが歌い上げるナンバーだったんですが、(ディズニーが女の子のロールモデルとして喧伝する存在である)ディズニープリンセスが「黙らない女」として設定されるのは、非常に時代の気分を良く表しているなあと思いました。
#metoo運動に象徴されるように、女性が声をあげる運動はますます広がっており、いまミレニアル世代やZ世代の支持を集めるインフルエンサーにはアクティビストの女性たちが多くいます。
銃規制活動家のエマ・ゴンザレスや国連ウィメン親善大使のエマ・ワトソン、ユニセフ親善大使のミリー・ボビー・ブラウン、GPE(教育のためのグローバル・パートナーシップ)大使のリアーナなど……。

「反抗の家出少女」から「黙らない女」へ、というジャスミンのキャラクター像の変遷が、一番時代の気分の変わり方をよく反映していたと思います。
また、ジャスミンが「民に心を砕く王女」として設定されたことで、アニメ版ではスルーされ気味だった「民の貧困」問題に対しての引っ掛かりも少なくなっていたと思います。
アニメ版でスルタンは可愛らしいキャラクターとして描かれていましたが、「いや、ゆうてアラジンをはじめ民が飢えてるんだぞ…おまえ…」というモヤモヤがありましたし。
アニメ版のジャスミンはディズニーヒロインの中ではかなりセクシーに描かれていて、これは前述の「パパ・ドント・プリーチ」的な気分からではないかと思うのですが、ポカホンタスやエスメラルダなど、非白人のヒロインばかりがセクシーに描かれていているという批判もありました。また、アニメ版ではティーンエイジャーのジャスミンがジャファーの気をそらすために性的に誘惑するという結構ショッキングなシーンもあったのですが、この流れは現代ではもう受け入れられないでしょう。実写版ではジャファーが若くなって年齢差が小さくなったことで、結婚のシーンのショッキングさは和らげられていたかな。
ところで、ジャスミンを抑圧するジャファー は「伝統を受け入れればラクになる」と言ってジャスミンに旧来の女性像に収まるよう諭すのですが、ジャファー自身も血筋によって王が決まる世襲制の王制に不満を抱いており、なかなか複雑です。
家父長制の中で抑圧されながらのし上がろうとする悪役ことハンス王子かよ。(ハンス王子ファンの妄言)
今作のジャファー、セクシストのうえに帝国主義者というどストレートな悪役なのですが、全体的に顔も声も可愛らしくてあんまり迫力がなかったような…

○割を食う主人公
ただ、今回ジャスミンまわりのアップデートに力が入れられていた反面、アラジンの扱いはアニメ版に比べて割りを食っていた感が否めません。
全体に展開が早くミュージカルシーンが前半に集中し、後半の見せ場はジャスミンのspeechlessだし、最後のジャファーをやりこめるアイディアは自分で思いつくのではなくジーニーにほのめかされる…など全体的に見せ場が奪われている感がある。
あと、アニメ版のアラジンは食べ物を盗んでも装飾品を盗んだりはしていなかったので、ちょっとワル度があがっていますね。ジャスミンの母親の形見であるブレスレットを盗むのは悪いと思っていたみたいですが、最初に盗んでた侍女のネックレスが母親の形見だったらどうすんねん。
ところで、ジャスミンに対しては抑圧者として振る舞うジャファーは、アラジンに対してはやたらと忠告したり、自分もかつてはお前と同じだった…と身の上話を始めたり、メンターになりたいような素振りを見せてきます。
ジャファーはアラジンの「ありえたかもしれない姿」として設定されているようなのですが、アラジンには最初から権力に対する欲がないのでアラジンとジャファーを隔てるものが何なのか…という教訓的な側面としての対比がイマイチはっきりせず消化不良のような気がする。
○友情と主従の危うい関係
アラジンとジーニーの友情は「アラジン」の魅力のひとつなんですが、「フレンド・ライク・ミー」というナンバーもあるわりに、アラジンとジーニーの関係って主人と奉仕人であって、無邪気に友情と呼ぶには引っ掛かりがあるよなーと思っていたらその点に突っ込んでいたのは「おっ」と思いました。
実写版にジャスミンの侍女かつ友達が新キャラとして追加されると聞いた時、この「アラジンとジーニーの友情にひそむ危うさ」を際立たせるためのでは!?とおもったのですが、特にそんなことはなかったぜ。
侍女はイアーゴと国王がシリアスめなキャラクターになってしまったぶん、王宮側のコミックリリーフ的な役割を担っていてキュートでしたね。ジーニーと侍女がくっつくのは「トランプでババ抜きしてんじゃねえんだぞ!」と鼻じらんでしまいましたが…。

その他、つらつら思ったことを箇条書き感想。

●監督がガイ・リッチーということで期待していた男同士の過剰なエモーションは控えめだったかな…と思うんですが、ハキームとジャファーの関係性とかは「好きに掘り下げてくれよな」っていう目配せを感じました。いやでもガイ・リッチーはこんなところで満足する男じゃない、映像特典では薔薇風呂に入るジャファーとか、ビショビショになりならがパンを食べるアラジンが見られるんだ、おれはくわしいんだ。
●冒頭、ウィル・スミス演じる船乗りが物語の語り手となるのですが、これ、アニメ版で物語の導入を務める語り手の商人が実はジーニーの変身だという裏設定が踏襲されていて、マニア的にはニヤリとするところ。
●ミュージカルシーンは全体に悪くないです。白眉は冒頭の「アラビアン・ナイト」のシーンかな。異国情緒が溢れていてワクワクする。事前に公開された「アリ王子のお通り」のシーンはテンポが悪く感じたのだけれど、冒頭から続けて見るとちゃんと盛り上がるシーンになってました。やはりミュージカルシーンは導入が要ということなのか。でも、一番の見せ場であるはずの「ホール・ニュー・ワールド」のシーンは全体に画面が暗くて見づらかった。IMAXなら良かったのかもしれない。


参考文献:
WWD JAPAN Vol.2084 ミレニアル世代はみんなフェミニスト 声を上げ始めた20代に響くビジネスとは? 2019年5月20日号
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