Red Notebook 『アナと雪の女王2』痛みを抱えて前進せよ 忍者ブログ
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ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
2024年11月23日 (Sat)
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2019年11月22日 (Fri)
 

 とりあえず一回目を見てきました。レーザー IMAX字幕2D。
 映像のスケールが前作から格段にアップしており、とてもダイナミックだったのですが、エルサの姿に完全に字幕がかぶってる部分もあったのがちょっと残念。
 ちなみに、前作の感想はこんな感じです。→『『アナと雪の女王』と、お姫様ではない女の子の話』

 見た直後にブワーッと書いているので、まとまっていないですがご容赦ください。
 「続きを読む」以下は、ネタバレありの感想です。

 


 今作では、前作において批判されていた部分に対するアンサーになっているなーと思った箇所が大きく2つあります。それが「サーミ人の扱い」と「エルサの居場所」。

■ノーサルドラの人々
 前作で批判されていた要素の一つに、「サーミ人の扱い」があります。つまりクリストフ。(作中では明言されていませんが、脚本には幼少期のクリストフについてハッキリと「サーミ人の男の子」と書かれています)
 サーミ人は北欧において長らく差別の対象になっていた民族のため、サーミ人の男がゲルマンのお姫様に商売道具を壊されたりしつつも彼女を救うために奔走する……という展開は搾取的なのではないか、という批判がなされており、それは確かに批判の対象になるだろうと思うんですよね。
 また、映画『サーミの血』で「あいつらラップ人(サーミ人の蔑称)って臭いよな〜」と言われてサーミ人の主人公が何度も何度も体を洗っているシーンがあり胸が痛んだのですが、サーミ人と明言されているクリストフを「臭いキャラ」扱いにしたのは相当にまずかったと思います。そういえば、今作ではクリストフが「臭いキャラ」扱いされるシーンはありませんでしたね。
 さて、『アナと雪の女王』の前作及び今作ではVuelieという曲(ナーナーナーヘイヤーナーというアレ)で始まりますが、この曲はもともとディズニーのオリジナルではなく、サーミの流れを引くヨイク(サーミの伝統的歌唱法)歌いで作曲家のFrode Fjellheimという方の作品です。
 前作公開時には、「アナと雪の女王」がこの曲で始まるのは、アンデルセンの原作にも登場する「サーミ人」(アンデルセンの原作では「ラップ人」表記だった気もする)の物語でもあることを表しているのではないか……という考察をしていた方もいました(現在はブログを削除されしまっているようです)今作ではノーサルドラの人々がVuelieを歌うシーンがあり、彼らがサーミ人に相当する存在として描かれているといえるでしょう。
 今回、アレンデールの国王(アナとエルサの祖父)がノーサルドラの人々を排除するために悪行を働いたということが明かされる展開があり、このあたりは前作の批判を受けて搾取があったことをマイルドながら描いているのかなあと思わせます。
 ただ、ノーサルドラのキャラクター、何人かは名前が与えられてているものの、ロクにメインのストーリーラインに絡まないので、「そういうとこだぞ」感はありますね。

■君主制の破壊まではいかずとも…
 異民族を排除しようとしたうえ自分たちに都合のいい話を広めてたとか、そもそもアレンデールの国王ってけっこうロクでもないじゃん……ということが分かったところで、霧の中に囚われた人たちを救うには過去の過ちを正し、アレンデールは滅びなければならない、ということが明かされます。(ただしアレンデールの住民は避難済み)
 ここ、かなりワクワクしたんですよね。前作でエルサが抑圧の象徴だった城を自分のものとして塗り替えたように、今度は排外主義の象徴としての城をぶっ壊し、「城はなくなったけれどアレンデールの民のいるところがアレンデールなんだ(『マイティ・ソー:バトルロイヤル』)」というオチね!なるほどなるほど!ディズニーもなかなか思い切ったことするじゃん!と思ったら………
 ……いや壊れないんかい!!!!!
 さすがに前作から観客が慣れ親しんでいたお城がぶち壊されたら子ども泣くでしょ、というのは分かるんですけど、べつに城は壊れてもいいと思うんだよな~~住人は無事なんだし……。
 ところでこのダムが決壊してアレンデールに大量の水が流れ込まんとするシーンは今作の最大の見せ場でもあるんですが、とにかく映像の迫力がすごくてポカンとしてました。あとあの謎のトナカイの大群がぐるぐる回るシーンも、ちょっと怖いくらい迫力がありましたね。あれ何? こわい。

■エルサはどこで生きてゆくのか問題
 前作でだいぶ議論の的になりましたよね。雪山であんなに壮大な城を作ることができたエルサが、アレンデールに戻ってスケートリンク作って幸せなの? 問題。
私はどちらかといえば「社会と上手くやってくなんてめんどくさい、一人で生きたってええやん」という思考の持ち主なので(社会不適合っぷり……)「エルサは山にいた方が幸せだったのでは? 一人でのびのびするのが幸せな人だっているのでは?」という意見はよーく分かります。
 ただ、前作の流れで「エルサは山で生きてゆくことにしました」というオチにしてしまったら、「迫害されたマイノリティはみんなと離れて一人で幸せに暮らしました。めでたしめでたし」というメッセージを発してしまうことになり、天下の大マジョリティたるディズニー様がそんな「マイノリティもみんなから隔離されてた方が幸せだよね」みたいな展開作っちゃったら大問題なので、前作のオチはあれで良かったと思っています。
 そして、エルサが能力を制御しつつ人々とうまくやっているという様子を描いたいくつかの短編及び今作の展開を経て、「エルサは自分の能力を伸び伸び発揮できる場所で生きてゆく」というのを今回の落とし所にしたのは上手いなあと思いました。
 今回、エルサは自然を相手に自分の能力を余すこと無く使っていて、映像として映えるのはもちろん、エルサの成長を感じてとても嬉しかったですね。前作のフィヨルド~北の山を走って行くシーンではわりと運動神経悪そうな走り方をしていたエルサが、今作の波の上を走って行くシーンではかなりキビキビした動きをしていたので、「お城から出られるようになって運動するようになったんだなあ」と感慨深くなりました。
 あとこのシーンのエルサ、単純にめちゃくちゃカッコいいんですよね。スターウォーズのレイみたい。暴れ馬を手懐けるのもすべての児童の夢じゃん。惚れ惚れしちゃうわー。
 しかしノーサルドラの人々は、二つの民族の血を引いていて彼らの畏怖する魔法の使い手であるとはいえ、おそらく今までの人生で自分をずっとアレンデール人として認識していて、アレンデールの最高権力者であったエルサをホイッと迎え入れられるのでしょうか。あのコミュニティでエルサは首長になったかどうかは分からないのですが、もし首長ではなく一人の住人として生きていくことを選んだのだとしたら、それはそれで「出自で決められた役割」からの脱出っぽくていいかな。

■そもそもエルサの能力の出自、みんな知りたかった?問題
 前述のノーサルドラとアレンデールの対立のエピソードは、現代の異民族の排除を憂う!という意味だと思うんですが、エルサとアナは二つの民族の血を引いているので架け橋です。っていうの、あ、安直すぎない?
 イドゥナ王妃(エルサとアナの母)が第5の精霊だったのなら、「両親はエルサの能力の秘密を探すために旅に出たんだ!」っていう展開の意味、何??
(いちおうイドゥナは自分の出自をずっと隠していて、航海に出てからアグナル国王に話したのであろうと思われるパートがあるにはありましたが、遅すぎない? それまでずっとエルサの能力について「どうしましょう、困ったわね」みたいな顔して手袋はめさせてたの…?? 娘があんなに苦しんでいたのに…??)
 今作についてはここが一番のプロットホールだと思うんですが、アナ雪は前作もプロットは穴だらけなのでそこはまあ……(いびつで穴だらけだが一点突破の魅力があるのがアナ雪のいいところなので)
 そしてそもそも、前作はエルサに能力がある理由が明かされないがために、観客が己の属性に引きつけてエルサの苦悩をそれぞれに解釈できる部分が多くの人を魅了した理由でもあると思うので、「なぜエルサに能力が与えられたのか」とか、別に知りたくないし……というのが正直なところ。しかもそれに対するアンサーが「実はお母さんが精霊だったから」って。ずっこけるかと思ったわ。

■アナとエルサの別離
 予告編で「あなたがいなかったら何もできないわ(What would I do without you?)」と言うエルサに、アナが「ずっとそばにいるよ(You’ll always have me.)」と答えるシーンを見てから「あっこれは……二人がべつべつに生きていくフラグだ……」と思って心の準備はしていたんですが、実際見せられると めっちゃ 辛かった ですね……。
 そんな「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」みたいな…。『トイ・ストーリー4』といい、ディズニーでは最近こういう展開ブームなのかな。
 前作では「ディズニーが珍しくシスターフッドを描いてくれた!」というのを嬉しく思っていたので、「今までずっと一緒にいたけど、成長したら恋人と暮らして離ればなれになっちゃうね、でも友達(姉妹)だよ」みたいな展開で「成長に付きもののさみしさ」みたいに描かれるの……女同士の絆を子どものときだけのものにされるの……とモヤモヤしてしまいました。
 それが成長の形、大人になることだというのは分かるんですけど、成長したら友達(姉妹)と別れて恋人と一緒に暮らすのが当たり前みたいなの、つ、つまんない……。えーんやだよう。大人だけどずっとオタク女友達と面白おかしく暮らしたいよう。これは独身オタク女のわがまです。はい。

■It’s time to be a queen!
 というわけで、エルサが魔法の森で生きることになったため、アレンデールの女王の座を受け継ぐことになったアナ。前作についての感想で、エルサの成人=戴冠式から物語が始まること、「プリンセス」ではいられなくなることについて「これはエルサの大人になる/老いることへの恐怖」を描いているのではないか、というようなことを書いたのですが、今作はアナの成長を描いており、今度はアナが「プリンセスではなくなる」側になっています。
 オラフは今作で「大人になるってどういうことなんだろう? 変わってゆくってどういうことなんだろう?」という疑問を度々述べており、(ソロ曲のタイトルも「おとなになったら(When I Am Older)」)今作のテーマとして「大人になること、成長すること」があるのがわかります。ちなみにオラフが成長したことを示すエピソードとして、「怒り」の感情を覚える、というのが出てくるんですが、ディズニーファンはみんな『魔法にかけられて』のジゼルじゃん……って思ったよね。
 しかし、劇中で最も成長するのはオラフではなく、アナと言って良いでしょう。象徴的なのは、彼女が自分の子ども時代の象徴であるオラフを一度失わなければならなくなること。ところでこのシーン辛すぎて、ディズニーがオラフを殺すはずがないと分かっていても「なぜアナちゃんをこんな辛い目にあわせる……製作陣ゆるさん……」という気持ちになってしましました。
 アナが歌う「わたしにできること(The Next Right Thing)」はたとえ辛くても、一歩ずつでも正しいことをしよう、といったような歌詞で、「ディズニーが考える『今』の子どもたちにこうなってほしいというロールモデル!!」というメッセージ性があまりにも強すぎてちょっと面くらいました。
 2016年にディズニーが発表した現代のプリンセス10ヶ条に、"Right Wrongs"(不正を正す)という項目がありましたが、今回アナがとった行動はまさにそれです。
 エマ・ゴンザレスやグレタ・トゥーンベリなど、若きアクティビストたちの活躍により「正しいことのために行動を起こすのはクールだ」という価値観が若者に広がりつつある今の時代ならではの子どもたちへのアンセムというかんじがします。
 でも良いと思います。ディズニーくらいは、常に時代に合わせながら世の子どもたちに良きお手本を示そうとする姿勢でいても良いよ。そういう頑ななところ、けっこう好きだよ。
 ディズニープリンセスについては『アバローのプリンセス エレナ』『モアナと伝説の海』あたりから、単なる名目上の「プリンセス」から、「人々を導くリーダーとしての王族」を描こうとシフトしてきているなーと思ったのですが、実写版『アラジン』のジャスミンがスルタンになることを目指していたり、アナも今作で国の最高権力者になったりと、ここまでされるともはや「プリンセスの時代は終わり! これからはクイーン!」という意気込みすら感じます。
 アナちゃん、前作に比べると顔つきもずいぶん大人っぽくなって、白いドレスにトランスフォーメーションしたエルサと抱き合うシーンを見ながら「おまえたち……すっかり大人になったな(Look at you. You’re all…… grown up.)」って『IT/イット THE END』のペニーワイズになってしまいました。あっ流れるようにITの話をしてしまった。みんなITを見てくださいね。

■恋愛を真面目にやるのは恥ずかしい?
 前作ではロマンティック・ラブの物語のクリシェのパロディ化、及びそこからの脱却をメインプロットに据えていたアナ雪ですが、今作ではアナとクリストフの関係は王道/保守的な形に落ち着きます。今回、恋愛パートを一手に引き受けていたのがクリストフなのがちょっと面白いなと思いました。(アナは常にエルサ・ファーストなので。)恋愛パートを男子メインで引っ張っていったのはちょっと珍しいなと思いつつも、あの「恋の迷い子(Lost in the Woods)」のシーンのふざけっぷりは一体……。いや、めちゃくちゃ笑ったんですけど、男の子が恋に悩む姿をもっと真剣に扱ってくれてもいいのになとは思ってしまいました。

■ハンス王子の扱い
 私はとにかくハンス王子が好きで好きでたまらず、「家父長制に冷や飯食わされながらもがくハンスに救いをくれ~~」と思っているので、『ベイマックス』のカメオやアナ雪短篇でのハンス王子の扱いに怒っていたのですが、今回の扱いは……まあ……「フーーン(無)」ぐらいのかんじでしたね。うそ。私はまだハンス王子の救済を諦めていないからな。ちくしょう。

 とりとめなく色々と書きましたが、全体的にはやはり前作の偏愛レベルには遠く及ばないなあというところ。なんででしょうね。ハンスの有無……? ただ、まだ何度か楽しむつもりではあるので、次は吹替で見たいところです。
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