Red Notebook 『シュガー・ラッシュ:オンライン』個人的で普遍的な寂しさの話/プリンセスのシスターフッドについて 忍者ブログ
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ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
2024年11月23日 (Sat)
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2018年12月22日 (Sat)
『シュガー・ラッシュ:オンライン』見てきましたよ!
平日の昼間に行ったせいか、子どもが多くてギャグシーンで子どもの笑い声がおこる素敵な鑑賞体験でした。
以下ネタバレありの感想です。


インターネットと承認欲求の話
 さて、前作で「悪役であるがゆえに周囲に打ち解けられない(というかかなり酷い扱いを受けている)」ために、自分を認めさせようと自分のゲームの外に冒険に出たゲームキャラの主人公・ラルフ。そこで出会った、自分と同じように周囲から冷遇されているゲームキャラの女の子・ヴァネロペと友情を築き、なんやかんやで彼女を救ったことで自己肯定感を高め、幸せを手にしていたかと思われていました。
 ところが、今度は「自己肯定感をすべてヴァネロペとの友情に依存している」という状態になっていたことが判明。とにかくヴァネロペと一緒にいることが自分にとって一番大事で、ヴァネロペが自分から離れていってしまうかもしれないと思うとめちゃくちゃ不安定になって「裏切られた!!!」と思ってしまうし、自分でも間違っていると分かっていたはずの行為をヴァネロペに非難されると「もう友達じゃ無いって言われた!!」と思い込んでしまう。思い込みが激しい。このへん、わりと自分でも身に覚えがあるし辛い。

 前作は前作で「ラルフが孤独を感じている原因ってラルフの自己肯定感という内面だけの問題なの?フィックス・イット・フェリックスの住民のクズさはスルーなの??」感あったのでそれはそれでモヤモヤしてたんですけど、あれだけラルフの自己肯定感の問題として描いておきながら、そこまだ解決されてなかったのか……。
 『ファインディング・ニモ』で過保護な父親だったマーリンが冒険を乗り越えてニモを信頼してその手(ヒレか)を離せるようになったのに、『ファインディング・ドリー』でまたしても「過剰に心配性の父親」の役割を与えられていたのもそうなんですけど、また「続編あるある:主人公は何回おなじ問題を克服しなきゃいけないんだよ展開」かよ感はあるんですが、まあ、人ってそんな簡単に変われるもんじゃないしね……。
 とはいえ、ラルフの「自分を認めてほしい、自分を好きでいてほしい」という気持ちはあくまでヴァネロペひとりに向かっていて、ネタ動画作りにいそしむのも、「ヴァネロペを幸せにしたい(そのためにお金を稼がないといけない)」という理由であって、インターネットの民の心ないコメントに傷つくことはあっても、インターネット上でハートを送ってくれる不特定多数に認めてほしいと思っているわけではないので、いくぶん健全なような……そうでもないような……(依存先が多いというのはそれはそれでリスク分散なので)。
 さて、『アナと雪の女王』や『ズートピア』がそうであったように、今作も「お前にとっての最大の敵はお前の中に潜んでいるものだ」という展開になっており、ラルフのこの「友達を求める気持ち」がクライマックスで最大の敵として立ちはだかります。ここに到るまでにラルフはヴァネロペと離れたくないあまりにかなり倫理的にダメなことをしてしまっており、「友達を求める気持ち」がだいぶ暴走しています。
(『アナと雪の女王』はいちおうハンスという分かりやすい悪役はいるんですけど、冒頭で語られているとおり、エルサの「恐れ」が最大の敵なんですよね)
 クライマックスで無数のラルフのコピーが集合して巨大なラルフになるシーン、誰かに依存しないと自分を保てない人間の結晶~!!って感じてもう本当に見てて辛いんですけど、彼らがインターネットを破壊していくのって要するに
Qインターネットの脅威ってなに?
Aお前の肥大化したエゴだよ!!!!!

という痛烈な皮肉になっているわけですよね。

 『T2トレインスポッティング』に「人生を選べ。フェイスブックを、ツイッターを、スナップチャットを、インスタグラムを選べ。SNSで見知らぬ他人に胆汁をぶちまけろ。プロフィールを更新し朝食に何を食べたとか全世界に発信してどこかの誰かが気にかけてくれることを期待しろ」という名調子があるんですが、友達を求めてさまよう大勢のラルフが、インターネットに溢れる、この「気にかけてほしい」という寂しさの具現化のようで、もうホント見てて胸が痛いよ……。

 とはいえラルフは良いヤツなので、最終的には自分のエゴよりヴァネロペの幸せのために離れることを選びます。
 愛とは~~離れてあげること~~~愛とは解き放つことよ~~~自分の幸せのためでなく~~~涙こらえ伝えよう~~~(「星から降る金」)

 ラルフとヴァネロペがさよならの最後の最後の瞬間まで手を振り続けるシーン、それでもふっと相手の姿が見えなくなる瞬間に胸が締め付けられるようなあのシーン、ベタに号泣しました。

 これはめちゃくちゃ個人的な感傷の話なんですが、徒歩5分の距離に住んでた小学生のころからの友達が、この秋関東に越してしまったんですよね。
 もともと、社会人になってからは忙しさもあって徒歩5分の距離なのに半年会っていないこともよくあったのですが、それでも夜にふらっと彼女の家に行って、家の前の階段や近所の公園でだらだらととりとめのないことを話し合ったり、ちょっとしたプレゼントを渡しに行ったりしていたことが思い出されて、距離が離れるということはもう家の前の階段で駄弁ったりできないんだなあ、と思って寂しい気持ちになったりしました。いやアラサーの女2人が家の前の階段で駄弁ってるのもどうなんだという話なんですけど…。

 という個人的にドンピシャなタイミングだったので、余計にこのシーンが琴線に触れたのかな〜と思うんですけど、でもきっと、この部分については見た人の多くがそれぞれの個人的な感傷に浸りたくなる映画だったんじゃないかと思います。
 子ども向け映画として良くできてるなあと思ったのは、子どもってこの先の人生で引っ越し、進学、就職、結婚……といろんな段階で友達との別れを経験するじゃないですか。それこそ、「友達はレストランの客のように入れ替わっていくもの」(『スタンド・バイ・ミー』)だから。そんなときにこの映画が心のどこかにあることで、少し励ましになるんじゃないでしょうか。

 離ればなれになったって、友達じゃなくなるわけじゃない。それに、遠く離れたってお互いに気にかける方法はある。つながる方法はある。そう、インターネットがあるからね!!!インターネット最高!!!
 ラルフとヴァネロペは物理的に(?)はなかなか会えなくなりましたが、それでも通信機でお話することはできるということを考えると、インターネット時代ならではのハッピーエンド友情モノかもしれない。


ディズニープリンセスのこと

 
今回、見る前にいちばん戦々恐々としていた部分。
 インターネットの世界にやってきたヴァネロペは、Oh My Disneyへやってきてディズニー・プリンセスに出会います。(ちなみにディズニーファン以外の方はあまり馴染みがないと思うのですが、劇中に出てきたOh My Disneyというのはディズニーが公式に作っている実在するサイトで、ツイッターやインスタグラムのアカウントもあります。Oh My Disney Collectionというマニア向けのグッズ開発とかもしているようなので、単にウェブサイトというよりはある種のプロジェクトの総称かもしれません(すいませんあまり詳しくはないです))
 Oh My Disneyはツイッターではこういうミームを投稿していたりして、子供向けというよりはもう少し上の年齢層を狙った、「(よい子ちゃん向けで無味乾燥ではない)カジュアルでクールなディズニー」を指向しているものと思われます。
 特に下の白雪姫のツイートなんか顕著ですけど、ここでは「昔の名作映画のヒロインである白雪姫」を「親しみやすい女の子」という文脈に置き換えようとする力が働いています。
 なので、ここで描かれるディズニープリンセスたちは、(一応ですが)あくまで「Oh My Disney風に味付けされた」ディズニープリンセスですよ、という立て付けにはなっているんですよね。

 さて、プリンセス集合シーンは予告でもかなりフィーチャーされていたので、予告が公開された時点でディズニーファン・非ディズニーファン含め賛否両論だったと記憶しています。
 私が見かけた主な批判は次のようなかんじ。
・ディズニープリンセスたちがあまりにもキャラ崩壊している。
・ディズニープリンセスたちが攻撃的すぎる。(侵入者とはいえ幼い女の子に突然武器を向ける意味がわからない)
・ディズニーが描いてきたプリンセス像をアップデートするには単に好戦的な「戦う女の子」にすればいいと思ってんのか。単純すぎるわ。
・プリンセスたちのキャラクターのデザインがあまりに元の映画と違う。

 それから不安に思っていたもう一つの要素が、映画公開のだいぶ前に「D23 Expoで公開されたシュガー・ラッシュ:オンラインの映像」の内容、として報道されていた以下の内容。
・他のプリンセスがメリダのスコティッシュ・アクセントを馬鹿にするシーンがあるらしい
・ディズニープリンセス同士がライバル心をむき出しにする存在として描かれているらしい。
という二点です。

 ちなみにこの二点については、一点目はアナがメリダについて「彼女が何言ってるかわかんないの。他のスタジオ(ピクサー)出身だから」とヴァネロペに耳打ちする、というシーンになっており、制作側がメリダのアクセントをギャグとして扱っていることには変わりないので多少モヤモヤしたものは残るものの、他のディズニープリンセスがアクセントを「馬鹿にしている」とまでは言えないかなあ……と思ったのでそこまで気になりませんでした。
(ちなみに、吹き替えでは「メリダを日本のどこかの訛にするのも変だよね」という判断が行われたのか「いやいやアクセントを馬鹿にするギャグはまずいっしょ」という判断が行われたのか分かりませんが、メリダがやたら古風な言葉遣いをするので他のプリンセスには理解できない、という演出になっていました。)
 というか、出身地から考えたらほとんどのディズニープリンセスは英語が母語じゃないと思われるのにアクセントのネタ、リアリティラインをどこにもっていけばいいのかよく分からないな……。
 二点目の「同じディズニープリンセス同士、ライバル心をむき出しになる瞬間」というのは私が見た限りではあるようには思えなかったのですが、D23 Expoで公開された映像から変更があったのか削除されたのか、記事を書いた人のバイアスがあったのか…。
 ところで、ヴァネロペはといえば、Oh My Disneyにやってきたときに「アニメキャラとプリンセスなんてサイテー」と発言しており、(自身もプリンセスではあるが)いわゆる「プリンセス」的なものを好まない女の子であることが提示されています。
 そもそもヴァネロペは前作のラストで実は「プリンセス」であることが明かされた直後、「こんなの本当のアタシじゃないよ」とドレスを投げ捨て、王制をやめ大統領制へ転換することを宣言しています(大統領制になったのに、なぜまだプリンセスなのかは謎。政治の実権は握らないが象徴としては王室が存在しているということなのか。)
 しかし、ディズニーが絶えずプリンセス像の刷新に苦心しながらも「なぜプリンセスでなければならないのか」という問いに対してはたとえば『モアナ』や『アバローのプリンセス エレナ』で「人々を導くヒロイン像を描く」(だからプリンセスという位置づけに意味がある)というエクスキューズをしていたことすら超えて、ヴァネロペは「別に王制とかなくてもいいじゃん?」と言っているわけで、めちゃくちゃラディカルな存在である。
 というわけで、ヴァネロペは前作から(例えばアリエルやベルやモアナが志向していたような)「新たなディズニープリンセス像」というよりは、「ディズニープリンセスに対する皮肉」として設定されていたキャラクターという印象が強いです。今回ヴァネロペを「ディズニープリンセスに対する自虐的なセルフ・パロディ」を行うキャラクターにしたのも、それほど突飛な展開とはいえないのかなあと思います。
 最初は警戒心剥き出しだったものの、ヴァネロペとすっかり友達になったディズニープリンセスたちは、「自分のほしいものが分かると、それが自然に歌になって出てくる」というようなことをヴァネロペに語ります。(いわゆる、ミュージカルにおける“I Want” Songのことですね)
 さて、ここまではプリンセス描写に「うーん、まあセーフかな」と納得していた私も「水に顔を映して~」あたりからやや胸がザワザワし始め、アリエルに突然スポットライトが当たって歌い出すあたりで、さすがに「いくらなんでも馬鹿にしすぎでは~~??? 大体ミュージカル映画は突然歌い出すとかよく言われるけどいきなりスポットライトが当たって歌い出すとかじゃなくて観客に違和感を与えないよう曲の始まりやカメラワークに様々な工夫がry」というオタク特有の早口になりかけました。あぶないあぶない。

 いや、分かるんですよ。ラプンツェルの「強〜い男の人に幸せにしてもらったってみんなに思われてる?」発言も含め、「実際のディズニープリンセスについての自虐」ではなく「世間で思われているディズニープリンセス像についてのパロディ」だということは。
 だから「突然歌い出すとか思われてるよね〜笑」ギャグなのは分かる、分かるんですけど、ただでさえその手の揶揄に日頃から辟易している、いちディズニーファンの身としては「あ、ついにディズニーにすら味方してもらえなかった……ディズニーすら『ディズニープリンセスとか突然歌い出すの変じゃん笑』とか言う奴らに与してしまった……」という被害者妄想に陥ってしまうんですよ。つらい。
 これまでもディズニーが自作品を自虐的にパロディすることはよくあって、その度に長年のディズニーファンからは不満も出ていました。(近年の作品なら『アナと雪の女王』の「会ってすぐに結婚するなんて」というセリフや『ズートピア』のボゴ署長の「人生はミュージカル映画とは違う。歌えば魔法みたいに夢が叶うなんてことはない。Let it go」というセリフ、『モアナ』におけるマウイの「ドレスを着てて動物のサイドキックつれてりゃプリンセスだ」というセリフなど)
私はこれまでの自虐はそんなに気にならなかったんですが、「実際に今まで自分たちが愛してきたキャラクターを前面に出されて自虐ネタを披露される」のはねえ……ちょっと段違いのレベルでキツいかな……。
 いやさ~斜に構えるのがカッコいいみたいな時代、もう終わりでしょ~。そのあとのヴァネロペのミュージカルナンバーも、プリンセスたちの持ち歌の歌詞入れたりと「ミュージカル的な」パロディだったりして、シーンとしてはたしかに楽しいし笑えるんですけど、天下のディズニーなんだからメタやパロディよりもストレートに「うるせえなこれがミュージカルなんだよ!!!!ミュージカルかっけえだろうが!!!」って王道ミュージカルのクールさでぶん殴ってくれよ!!!!という気持ちです(野蛮)

 ただ、ここまで文句を言っていても私はこの『シュガー・ラッシュ:オンライン』のディズニープリンセスで一点ものすごく好きなシーンがあって、それがクライマックスのプリンセスたちによるラルフ救出連携プレーなんですね。
 なぜかというと、私は常々「ディズニープリンセスの連帯が見たい」と思っていたからなんです。
(上記のツイートは前述のD23 Expoの記事が出たときに荒れまくって呟いていたものです)
 今まで、どんなに「ディズニープリンセス」というくくりで売られようと、どんな集合絵でもまるで互いの存在を知らないかのように佇んでいたディズニープリンセスたちが、初めて互いの顔を見て、語り合うのであれば、そこで描かれるのは「ディズニープリンセス同士、ライバル心をむき出しにする」シーンではなくて、「プリンセス同士の連帯」であってほしいじゃないですか。だって、ディズニーはずっとディズニープリンセスを「女の子たちのロールモデル」としてプロモーションしてきたんですから。
 それが、「友達を助けるため」という目的のために彼女たちが互いに協力する姿が見られたのでもうね……いーよもう……
 なので、私は彼女たちが連携プレーでラルフを救うシーン、ベタにめちゃくちゃ感動してしまったんですよ。
 ですから、『シュガー・ラッシュ:オンライン』のディズニープリンセスたちの描写が解釈違いで許せない、という人の気持ちも分かるんですけど、「ディズニー・プリンセスの連帯(シスタ-フッド)が見られた」という1点のみにおいて、私はこの映画のディズニープリンセス描写に(積極的に好きとは言わないまでも)合格点あげてしまうんだなあ……。ごめんなさいね単純で。

インターネット映画として
 インターネットの描写は楽しかったです。何を隠そう私もインターネット大好き人間なので……へへへ……。インターネットへ!っていうワクワク感はみんなも初めてインターネットするとき、ダイヤルアップ接続しながら感じたよねあのワクワク感。
 「メトロポリスとしてのインターネット」という視覚化も面白かったですね。確かに、田舎住みからすると「知識にアクセスできて、いろんな人と話せて、買える商品の種類がたくさんある」インターネットってある種の都会だ。円盤化されたら一時停止して知ってるサイトを探して楽しみたい。
 インターネット世界の描写で特に何が最高って、動画サイトBuzztubeのアルゴリズムの管理者ことイエス(Yesss)ちゃんですね。まさに「イケイケな方のインターネットの民~~~」って感じで超おしゃれさん。この子が画面に映る度にたのしい。イエスちゃんのファッション解説本ください。
 インターネットを舞台にした映画って、「リアル」と「インターネット」を対比させた作品が多いと思うんですが、(『サマーウォーズ』とか『レディ・プレーヤー・ワン』とか)『シュガー・ラッシュ:オンライン』では「リアル」はあくまで「インターネット」に付随するリアクションとしてしか描かれません。
 ラルフやヴァネロペはもともとデータですし、他の主要キャラもネットゲームのキャラクターやインターネットのシステム上の存在なので、ゲームのプレーヤーたちがいる「リアル」よりも、彼らにとっては「インターネット」の方が「現実」に近いですよね。いや、「インターネット」だって「現実」なんだけど……なにを言っているのか分からなくなってきました。
 とにかく、「リアル」と「インターネット」が二項対立として扱われていないあたりが、他のインターネット映画とは違った味わいで良かったなあと思います。ネット依存症としては「ネットばかりじゃなくてリアルも大事にしようね」とか説教されると、正論と分かっててもついつい「ちっ、うるせーな」って思っちゃうし。いや、『レディ・プレーヤー・ワン』好きですよ……。


キャストの話

 愛知県では字幕上映が無かったため、吹き替え版で見てきました。全体にディズニーのアニメ映画は名古屋で字幕版をやってくれる率が低い。(そして名古屋でやらないということは即ち東海地方で字幕上映がないということ……。)『ズートピア』のときは京都まで日帰りで字幕版を見に行ったりもしたのでした。
 ディズニー映画、もうちょっと字幕上映増やしてくれてもいいと思うんだけどなあ……。グリンチだって名古屋で字幕版上映してたのに。
 とはいえ、吹き替えのキャストもクオリティ高くてよかったですよ。私の推しキャラであるところのイエスちゃんは浅野まゆみさんの吹き替えもすごく好きでしたが、タラジ・P・ヘンソンの演技も聞いてみたいな。
 シャンク役の菜々緒さんは……うん……。まあ、ここは字幕で見てたとしてもガル・ガドットなのでモヤモヤしてたと思うんですけど。(オルトライトの意図どおりに過去のペドフィルジョーク発言でジェームズ・ガンをクビにしたくせに、ガザ攻撃を支持する発言をしたガル・ガドットを平然と起用するディスニー……という意味で)
 あと吹き替えでみたのでエンドロール見てびっくりしたんですけど、アルフレッド・モリーナの使い方ちょっともったいなくないですか!!??
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