初グザヴィエ・ドランでした。
冒頭、「風のささやき」を流しながら広大なトウモロコシ畑の中の道を走る車を見ただけで、「あ、この映画好きだ」という予感が。
結論から言うと腐女子のお姉様方は見てソンはないですぞ!
あらすじ:恋人、ギヨームの葬儀のため彼の実家を訪れたトム。しかしギョームがゲイであることを母親は知らず、ギヨームの兄フランシスは秘密を守るため暴力でトムを脅すが……
この映画の魅力は、トムとフランシスの間の緊張感が官能的に描かれてるところだと思っています。オドオドしながら口元に歪んだ笑みを浮かべるトムと、10月のトウモロコシ畑のようなナイフの鋭さでトムを抉るフランシス。
初めはフランシスに脅されて怯えていたトムでしたが、トムが農場に留まり仕事を手伝ううちに、2人の関係は変化していきます。初めはギヨームの部屋のベッドで1人で寝ていたトムは、やがてフランシスとベッドを並べて寝るまでに。都会的でお洒落だったトムが、作業着を着てサラに「彼には僕が必要なんだ」と告げるシーンは背筋がゾッとしました。
二人の関係で最大の見どころは、やはりトムとフランシスがタンゴを踊るシーン。
窓から長方形の光が指す小屋の中で、どこか暴力的な匂いのする音楽に乗せて、背中を反らせてまぶたを閉じるトムの色っぽさ。
あ、あとエロかったのがフランシスがトムの首を締めて、トムが「もっときつく締めろ」と言うシーン。なんだか情事のようでドキドキしましたね、ええ。腐女子困っちゃう。
……というように、トムとフランシスの間には全編通して性的緊張関係があるんですけれども、実はその間には常にギヨームの亡霊がいる。
トムはフランシスの中にギヨームを見、フランシスもまたトムの中に弟を見ながらタンゴを踊る。
ギヨームの母はトムにギヨームの服を着せて彼の代わりにしようとしているし、トムはトムでフランシスにギヨームの面影を見ているので、ギヨームを中心に置いた代償関係、もとい共依存がどんどんこんがらがった方向に向かってしまう。
ギヨームの姿は映画の中に一度も登場しないのに、常にギヨームはそこにいるのです。それこそ、『レベッカ』のレベッカのように。
フランシスはトムを暴力で支配したかと思えば、その傷を優しく手当する、DV男の典型みたいなロクでもない奴なんだけど(最後にトムを追いかける時のセリフなんて特に)
同時にやはり魅力的でもあって、彼にギヨームの面影を見ていて、彼を死なせてしまったことに罪悪感を抱いているトムがなかなか離れられないのも分かる気がします。
彼はあのトウモロコシ畑が広がる田舎で、周りの全てから疎まれながら、自分を愛さない母親のためだけに生きてきたんです。しかも、それは母に心酔しているとか愛しているとかではなくて、「そうすべきだから」という義務感によるところが大きくて…
彼はあの地獄の中で狂気を募らせていってしまったんだなあと思うと、うっかり同情してしまいそうにもなります。
最後母親の姿が見当たらなかったのって、もしかしてもしかすると「そういうこと」なんでしょうか……
トムがフランシスから逃れて都会の光の中へやってくる姿に安堵しつつ、弟の亡霊に憑りつかれながら広大なトウモロコシ畑の中に取り残された、フランシスの孤独に思いを馳せずにはいられません。
ルーファス・ウェインライトの曲をエンディングに使ってるのも良かったですね。