Red Notebook 『シンデレラ』呪いを凌駕するエレガンス 忍者ブログ
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ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
2024年11月22日 (Fri)
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2015年05月01日 (Fri)

「アナと雪の女王」、「マレフィセント」と、旧時代プリンセスストーリーの打破を試みてきたディズニーの最新プリンセスものでありながら、
予告編を見た感じでは「え……なんかめちゃくちゃ普通のシンデレラに見えるけど大丈夫かな……シンデレラとか受動的プリンセスとして1番批判されやすいやつだけど現代でこの話をそのままやって大丈夫かな……」感を出していたケネス・ブラナー版「シンデレラ」。
実際見てみたらこれがもう!素晴らしかった!!

※以下ネタバレありの感想


絢爛豪華・かつエレガントな世界観はもちろんのこと、ケネス・ブラナーも絶賛していた脚本の上手さが、この映画の大きな魅力。
「なぜガラスの靴は消えなかったのか」「なぜシンデレラは舞踏会に行きたがったのか」「なぜ継母はあんなにも意地悪なのか」
といった、アニメ版やグリム童話を読んでみんなが「なぜ?」と思っていた点に丁寧に理由付けをして飲み込みやすくし、かつ決して元のお話の流れを損なわないという、上品かつスマートな脚本。

基本的にはもとのアニメ版の話をなぞっている今作ですが、近年のディズニー映画的アップデートが加えられているのは、大雑把に言って2点。

①親の呪いからの解放
②旧時代プリンセスの価値観の否定


①親の呪いからの解放
近年のディズニー作品で1番分かりやすくこれが描かれているのは、「塔の上のラプンツェル」のゴーテルです。
彼女は今風に言うところの毒親です。(ラプンツェル公開当時には、この言葉はまだ無かったか、浸透していなかったのですが。)
ゴーテルはラプンツェルの人格をことごとく否定し、自信を失わせ、決して彼女の成長を認めません。
ラプンツェルは自分を苦しめ続けた親と対峙することでハッピーエンドを迎えます。
もうひとつは、「アナと雪の女王」。明らかに悪役として描かれているゴーテルに比べ、アナとエルサの両親は「良い人」であるがゆえに、その過ちが見えにくい。
けれども彼らの教育は2人の姉妹に呪いとなって降りかかり、エルサが「もういいの、良い子でいるのは辞めたの!レリゴー!」と歌うまで、彼女たちを苦しめ続けたわけです。

シンデレラは本当のお父さんとお母さんには恵まれていましたが、継母からは壮絶な仕打ちを受けることになります。
彼女は「エラ」という名前を奪われ、「シンデレラ(灰かぶり)」という名前で呼ばれます。
もろにいじめです。モラハラです。
「名前を奪うことで尊厳を奪う」というのは、とても簡単で、けれども恐ろしく残酷な仕打ちです。(「それでも夜は明ける」で、奴隷にされた主人公がまず名前を奪われるシーンを思い出してしまいました)

彼女が名前を奪われるシーンはあまりにも痛ましくて、見ていて辛い。
けれども彼女は、王子に自分は「シンデレラ」だと名乗ります。
「皆が君を何と呼ぶかなんて、君のせいじゃないよ(君の本質とは関係ないよ)」という王子の言葉を信じて。
エラが王子という肩書きを知って彼を見る目を変えなかったように、王子がこの名前のために彼女自身の見方を変えないことを信じて。

クライマックスで、トレメイン夫人に対してシンデレラが放った言葉。
「あなたは親なんかじゃない」
「あなたを許します」
虐待された子供が親の呪いを否定し、さらに憎しみからも自由になることで、シンデレラは完全に解き放たれるのです。
完全に敗北したトレメイン夫人がくずおれるところ、ケイト・ブランシェットが素晴らしかったですね……

②旧時代プリンセスの価値観の否定

今回のシンデレラ、やっぱり従来批判されてきた旧時代の受動的なヒロインじゃん?と思われがちなのですが、ここも微妙ながら実に上手いかわし方をしてるんですよ。

印象的なのが、トレメイン夫人とシンデレラの「愛はタダだわ」「愛はタダじゃない!」というやり取り。
これね、若く美しく純真なエラと、もう若くはなく愛されるために努力し対価を払い続けてきたであろうトレメイン夫人の悲しい対比が溢れててせつない…んですが、よくよく考えると、
ここでエラは愛を「与えるもの」トレメイン夫人は「与えてもらうもの」と捉えてる気がするんですよね。
だからトレメイン夫人にとっては愛は犠牲を払って勝ち取るものであって、タダじゃない。そしてそれは男に愛されなければ生きてゆけない(経済的に)という、あの時代の女性ゆえの苦しみでもある。

そう考えると、夫人は「与えられる存在」であった旧時代のプリンセスの裏返しの存在にも見えてくる。アナ雪で見られた、旧時代ディズニーの価値観の否定がここでも。
だから継母は、自分の人生の物語を、「昔むかしあるところに……」と、おとぎ話として語って聞かせるのです。

けれどもシンデレラは与えられる幸せを否定します。
トレメイン夫人に取り引きを持ちかけられた彼女は、「自分がプリンセスになること」よりも、王子を、そして国民を守ることを選びます。
自分の幸せを犠牲にしても愛する人を守る、「愛されることより愛することを選ぶ」という選択が出てくるんですよ、はいこれアナ雪でも出てきたところね!テストに出ますよ!
愛されることによって幸せになるのではない、愛することによって幸せになるのだ、という物語。


それでですね、今回の「シンデレラ」の何がすごいって、こうした丁寧な論理付け、アップデートを全く嫌味なしにやってのけ、かつ見た人には「私たちがよく知っている『シンデレラ』のお話だったなあ」と思わせるところなんですよ!
こんなに理想的な再話があるでしょうか。
かくして、おとぎ話は次の世代に語り継がれてゆくのです。



2015/5/10追記

アナ雪のときに「王子様の解放が見たい!」というようなことを主張していたのですが、今回の「シンデレラ」ではこの側面にも踏み込んでいた気がします。
アニメ版では「王子様」という概念a.k.a. 金と権力のある男をゲットして幸せになる♡物語装置以上の何者でもなかったプリンス・チャーミングに、キャラクター的掘り下げがされてた。
出色なのは王子が病床の王のもとで嗚咽するシーン。こんなに、人間的な弱さを見せる王子キャラって今までほとんどいなかったですよね。
そして、狩をしていてシンデレラと出会うシーン。
シンデレラの"Just because it's what's done doesn't mean it's what should be done."「今までそうしてきたからといって、そうしなきゃいけないというわけじゃない」という言葉によって、因習に囚われていた王子は目を開かされます。
そして彼は、親から望まれる政略結婚(これもある意味、親の世代からの「呪い」です)を否定する。
「アナ雪」「マレフィセント」「イントゥ・ザ・ウッズ」とクズor空気王子続きだったディズニープリンス界に舞い降りたリチャード・マッデンisリアルプリンス…!!


追記の追記
ツイッターで話題になっていた、股間をスッキリさせるためにいろいろと大変だった王子の記事、置いておきますね。
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