『ズートピア』の初回の感想は見た当日に興奮状態で「『ズートピア』Whatever happened to the American Dream?/何がアメリカンドリームに起こったか」で書いたのですけれども、あれから吹き替えで2回目を鑑賞して、いろんな方の感想を見ているうちにいろいろ書きたいことがたまって来たのでまた書きます!本日は「エクスペンダブルズ2のヴァンダムはいつだって僕らに大切なことを教えてくれる」と「トライ・エブリシングはいいぞ」の二本立てでお送りします。
・なぜニックとジュディは恋愛関係にならないのか
これ、そもそも問いの立て方が変というか「いや、映画の主人公が男女二人組だからって恋愛関係にならなければならない理由は無いでしょ」でファイナルアンサーなんですけども、それはちょっと置いといて。『ズートピア』は絶対に「愛の物語」に回収されてはいけない話だったと思うんです。
最近のディズニー作品の話をしましょう。『シュガーラッシュ』と『アナと雪の女王』は、周囲からの偏見の目で見られ、疎外されていたキャラクターが一旦その社会を抜け出すも、他者からの愛情によって自分を受け入れることを学び、元いた場所に戻ってくるというお話でした。ラルフは、ヴァネロペとの友愛によって。エルサは、アナとの家族愛によってそれぞれ自分を愛せるようになり、そして元の社会へ戻ってきます。さらに、 な ぜ か 彼らを追い詰めた周囲の社会は彼らを快く受け入れてくれます。めでたしめでたし。
『シュガーラッシュ』や『アナと雪の女王』は「愛」によってラルフやエルサの内面がどう変化したかは丁寧に描きますが、彼らを取り囲む社会がどう変わったのかは描いてくれません。いや、結局のところ、社会はそう簡単に変わってくれないという諦めすら感じます。「良い人」の代表のようなフェリックスですら、ラルフに今までしてきた仕打ちについて、絶対に謝らない。
わざと矮小化するような言い方をしてしまえば、『シュガーラッシュ』も『アナと雪の女王』も「社会は変えられないけど自分の気の持ちようは変えられる」って話だったわけです。これって一見正しいですし、とっても優等生な意見に見えますよね。
でもそれって結局、現状を追認するだけの、ポジティブの皮をかぶった敗北主義なんですよ。
そしてそこに、「それっておかしくない?だって『社会』って私たちじゃん!私たちが変われば『社会』は変わるでしょ?」って突き付けたのが『ズートピア』なんです。
だから『ズートピア』は「愛の話」になってはいけなかった。差別と向き合う話をするときに、「必要なのはあなたが自分を愛すること」なんて言ってもごまかしにすぎないって、もう皆気づいたからです。必要なのは愛じゃなくてリスペクトです。
そう、つまりエクスペンダブルズ2のヴァンダムこそが真理なんですよ。
リスペクトは、学ばなければな。
どんなに面倒くさくても苦しくてもしんどくても、目の前の相手を安易なステレオタイプに落とし込まずに見つめること。一人の人間として向き合うこと。これがリスペクトです。そして必要であれば、隠された悪を注意深く阻むことです。それが自分の中の悪であろうと、他人の中の悪であろうと。
・何度間違ってもトライするんだ
最初に「トライ・エブリシング」をメインに据えた予告編を見たとき、「レリゴーがあたったからって、安易に主題歌推しの宣伝はどうなの?今度の主題歌はレリゴーほどのメッセージ性はないじゃん。」などとほざいていた自分をひっぱたきたい!!お前!こら!トライ・エブリシングなめんな!
「トライ・エブリシング」は、劇中で二回流れます。一度目は、ついに警官になるという夢を叶え、田舎から大都会ズートピアにやってきたジュディのパーソナルな応援歌として。ジュディが音楽プレーヤーからイヤホンで聴いているので、ここではまさにジュディ一人のための歌なのです。
二回目、今度はズートピア中(ジュディの両親もいるのでそれ以外も)の動物たちが集まったガゼルのコンサート会場で、いわば「社会の縮図」の中で、この曲は歌われます。そしてここにきて、「何度も過ちを繰り返すだろう、それでも何度でもトライしよう」という歌詞は違う意味を持ちます。ジュディが自らの中の偏見を認め、それを償うために行動したように、「私たちは何度でも間違いを犯すだろう、それでもより良い世界を目指すためにトライし続けよう。」と観客に呼びかける歌になるのです。
同じ歌が二度かかることで違う意味を持つんですよ、これ、ディズニーオタの大好きなリプライズじゃないですか!
自らを常に批判的に見て、自分の中の偏見に目を凝らすのは並大抵のことではありません。ものすごい気力と精神力と体力と思考力を要請されます。時には自分の中の醜い部分を見せつけられて、自分を嫌いになってしまうこともあるかもしれません。
常に考え続けるのって、本当にしんどいんですよ。けれども考え続けなければ私たちはすぐに偏見にハマってしまうし、いとも簡単に“凡庸な悪”へと変貌してしまうのです。
私たちには常に自分を奮い立たせてくれるものが必要です。だからあの角のある天使は私たちへ向けて、「トライ・エブリシング」という最高の応援歌を歌ってくれるのです。