ディズニーとか映画とか。All I can say is this: listen to me. My name is Raito. That is not my real name.
公開初日に見ていたものの、あまり楽しめなかったので感想をかきあぐねていました。
※ネタバレしています。
※ネタバレしています。
みなさんは、人の心の地図というものを、これまでに見たことがあるでしょうか。(中略)子どもの心というものは、とてもややこしいし、その上に、いつもぐるぐるまわっているのです。
その地図には、ちょうど、体温表にある、みなさんの熱の線のように、ギザギザな線が引いてあります。きっと、この線は、島の中の道なのでしょう。といいますのは、「おとぎの国」(ネバーランド。どこにもない国の意)は、どっちかというと、島のような形をしているものだからです。(岩波文庫『ピーター・パン』 p.19)
『PAN』のネバーランドは、決して子供たちが夢想する夢の国ではありません。大量の児童が強制労働に従事させられ、土地の資源をめぐって争いが起き、土地が枯れてゆき、追いやられた先住民と侵略者たちが戦争状態にある国。
夢の国と言うよりは、どっちかというと、鮮やかに色づけされた現実の地獄の縮図っぽい。
(黒ひげが言っていたとおり、ネバーランドには未来も過去も国境もないのだとしたら、まさにネバーランドはどの時間でもありどの場所でもあるので、この描き方は余計に陰鬱ですね)
そしてこのネバーランドには死の影が常に付きまといます。
原作の有名なセリフ「死は最大の冒険だ」や「君が死ぬのを見たくなかったんだ」「目を瞑っていればよかったのよ」というやり取りの「死」に対するある種乾いた態度、先住民が次々に殺されていくシーンのポップな演出。
そして何より、今作のヴィランである黒ひげの最大の恐怖は「老い」と「死」です。
黒ひげがピーターに死の恐怖について語る場面は、この映画の中で最も美しいシーンです。
老いて死ぬことに怯える黒ひげに対峙するのは、永遠に年をとらない唯一の子供です。
黒ひげにとっては愛する女性の子であり、愛する女性を奪った憎い男の子であり、そして彼が渇望しても絶対に手に入らないものを持っている存在。
ピーターは(おそらく)自分が年をとらない子供であることをまだ知らないので、この対比は余計に残酷です。
私がこの映画で一番不満だったのは、ピーター・パンを「ふつうの男の子」として描写したところでした。もちろん映画のコンセプトが「オリジンもの」である以上、「ふつうの男の子」が如何にしてピーター・パンになったのか、を描かないといけないのは分かるのですが……。
私はピーター・パンには「ふつうの男の子」ではなく「素晴らしい男の子」でいて欲しかったし、何より、「大人になることを拒絶した男の子」でいて欲しかった。
この映画では、ピーター・パンが年をとらない永遠の子供なのは、とてつもない寿命を持つ妖精の王と、人間の間の子供だからなのだ、と説明します。
もちろん、ピーター・パンの“PAN”はギリシア神話におけるパーン(牧羊神)の意であり、ピーター自身も山羊に乗り(『小さな白い鳥』参照)笛を吹くことから、この神の要素を色濃く持つキャラクターであることは明白です。
原作(『小さな白い鳥』)でもピーターは人間もなく鳥ではない中途半端なものである、とまで言われていますし、ピーター・パンは人間ではなく一種の妖精である、と解釈することはとても自然ですし、この解釈自体が良くないというつもりは全然ない。
けれど、やっぱり私はピーター・パンというキャラクターの最大の魅力は、空を飛べることでも、数々の冒険に連れて行ってくれるところでも、無責任で無鉄砲なところでもなく、「大人になることを拒絶し、そして本当に大人にならない唯一の子供であるところ」だと思っていたのです。
もしかしたらこの辺り(ピーターが大人になることを拒絶する意思)は続編で描くつもりだったのかもしれませんが、わかんないね、こけちゃったから続編無いしね!続編作ってピーターとウェンディのイチャコラからの悲恋を撮ってくれたら、華麗に手のひら返しする気まんまんなのですが。
その地図には、ちょうど、体温表にある、みなさんの熱の線のように、ギザギザな線が引いてあります。きっと、この線は、島の中の道なのでしょう。といいますのは、「おとぎの国」(ネバーランド。どこにもない国の意)は、どっちかというと、島のような形をしているものだからです。(岩波文庫『ピーター・パン』 p.19)
『PAN』のネバーランドは、決して子供たちが夢想する夢の国ではありません。大量の児童が強制労働に従事させられ、土地の資源をめぐって争いが起き、土地が枯れてゆき、追いやられた先住民と侵略者たちが戦争状態にある国。
夢の国と言うよりは、どっちかというと、鮮やかに色づけされた現実の地獄の縮図っぽい。
(黒ひげが言っていたとおり、ネバーランドには未来も過去も国境もないのだとしたら、まさにネバーランドはどの時間でもありどの場所でもあるので、この描き方は余計に陰鬱ですね)
そしてこのネバーランドには死の影が常に付きまといます。
原作の有名なセリフ「死は最大の冒険だ」や「君が死ぬのを見たくなかったんだ」「目を瞑っていればよかったのよ」というやり取りの「死」に対するある種乾いた態度、先住民が次々に殺されていくシーンのポップな演出。
そして何より、今作のヴィランである黒ひげの最大の恐怖は「老い」と「死」です。
黒ひげがピーターに死の恐怖について語る場面は、この映画の中で最も美しいシーンです。
老いて死ぬことに怯える黒ひげに対峙するのは、永遠に年をとらない唯一の子供です。
黒ひげにとっては愛する女性の子であり、愛する女性を奪った憎い男の子であり、そして彼が渇望しても絶対に手に入らないものを持っている存在。
ピーターは(おそらく)自分が年をとらない子供であることをまだ知らないので、この対比は余計に残酷です。
私がこの映画で一番不満だったのは、ピーター・パンを「ふつうの男の子」として描写したところでした。もちろん映画のコンセプトが「オリジンもの」である以上、「ふつうの男の子」が如何にしてピーター・パンになったのか、を描かないといけないのは分かるのですが……。
私はピーター・パンには「ふつうの男の子」ではなく「素晴らしい男の子」でいて欲しかったし、何より、「大人になることを拒絶した男の子」でいて欲しかった。
この映画では、ピーター・パンが年をとらない永遠の子供なのは、とてつもない寿命を持つ妖精の王と、人間の間の子供だからなのだ、と説明します。
もちろん、ピーター・パンの“PAN”はギリシア神話におけるパーン(牧羊神)の意であり、ピーター自身も山羊に乗り(『小さな白い鳥』参照)笛を吹くことから、この神の要素を色濃く持つキャラクターであることは明白です。
原作(『小さな白い鳥』)でもピーターは人間もなく鳥ではない中途半端なものである、とまで言われていますし、ピーター・パンは人間ではなく一種の妖精である、と解釈することはとても自然ですし、この解釈自体が良くないというつもりは全然ない。
けれど、やっぱり私はピーター・パンというキャラクターの最大の魅力は、空を飛べることでも、数々の冒険に連れて行ってくれるところでも、無責任で無鉄砲なところでもなく、「大人になることを拒絶し、そして本当に大人にならない唯一の子供であるところ」だと思っていたのです。
もしかしたらこの辺り(ピーターが大人になることを拒絶する意思)は続編で描くつもりだったのかもしれませんが、わかんないね、こけちゃったから続編無いしね!続編作ってピーターとウェンディのイチャコラからの悲恋を撮ってくれたら、華麗に手のひら返しする気まんまんなのですが。
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